読書

2009年9月 2日 (水)

武田邦彦『大麻ヒステリー』

31fz0gARyaL._SL500_AA240_.jpg最近大麻の栽培や所持で芸能人や学生などが逮捕さたというニュースを耳にすることが多いが、果たして大麻の栽培・所持とはそこまでマスコミが騒ぎ立てて社会的制裁を与えるほどに重い犯罪なのだろうか。著者は「法律が犯罪者を生み出している」と主張している。犯した罪に対して、与えられる罰と社会的制裁が明らかにバランスを欠いているのではないかと。

本書では、戦後、大麻取締法が成立する過程や、大麻という植物と日本文化の関わりを解説しながら、現在の大麻を巡る様々な言説のおかしさを明らかにしようとしている。著者の武田邦彦は、「環境問題のウソ」を暴いた本を多数著して、賛否両論を巻き起こしている大学教授である。武田が一貫して主張しているのは「自分の頭で考えろ」というメッセージ。慣習や文化や社会の空気の中で、当たり前のように流布している言説に惑わされず、常に科学的・理性的であれと説く。科学者ならではの理路がきちんと立てられた主張で、ほとんどの主張を納得させられた。本書の結論として、1:日本人はあまりにも自分の頭でものを考えなさすぎ。2:大麻取締法は「大麻」という植物を取り締まるのではなく、薬理成分であるTHC(テトロヒドロカンナビノール)だけを取り締まるべき。3:たばこや酒といった他の嗜好品と比べて痲薬としての効果はなく。また他の痲薬への入り口になるという根拠もない。という3つの主張が提示される。

わたしが大麻と聞いて思い出すのは、中島らものエッセイのこんな話である。らも氏がかつて、自宅の裏庭で大麻の栽培を試みていたところ(あまりにあっけない感じで書かれていたが、もちろん違法)、隣家のおじいちゃんが柵越しに「そんな育て方じゃダメだよ」と栽培方法を指南してくれたのだそうだ。なんとものどかな話である。確かに日本では古くから麻はそこらじゅうで日常的に栽培されていたことうかがわせる。また以前、わたしの祖父(1925年生まれ)に、中国・雲南省を旅行した際に撮影した、道ばたに自生した大麻の写真を見せたとき、「ああ、こりゃ麻だ。懐かしい」とすばやく反応していたこともあったっけ。

今ではレゲエのTシャツやこわもてB-BOYのキャップなどでしか見ないあの怪しげな形の葉っぱも、かつては日本の田園風景の中に馴染んでいたのだと思うと、妙な感慨を感じてしまう。再び私たちの生活に大麻文化が戻ってくる日はあるのだろうか。

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2008年7月30日 (水)

高橋秀実『トラウマの国』

417my1w6shl_ss500_ 読む前と後では世界が違って見えてしまう傑作『からくり民主主義』同様、皮肉の効いた視線で、どこかおかしな日本の社会を見つめたルポルタージュ。軽く読もうとおもえば読め流せる内容なのだが、随所に著者ならではのピリリと刺激的な見解が散りばめられていて、とても面白く読めた。読んでみてまず思ったのは「ふつうの人なんてどこにもいないんだな」ということ。筆者は、トラウマセラピーや、話し方教室、セックス本の女性読者、田舎暮らしを選んだ人など、老人から子どもまで多様な人々を取材し、彼らひとりひとりの気持ちを丁寧にすくい取っていく。その作業を通じて私たちが漠然と抱いている常識やステレオタイプのようなものを少しずつ壊していくのですが、読み進めるウチに、何度もはっとしたり、ニヤリとさせられたりで、自分の頼りない常識が崩れていく音が聞こえるようで気持ちよかったです。

テーマもバラバラな13の章は、なんだかまとまりのないようにも見えるのだけど、一貫しているのは常に冷静さを保とうとする視線と、物事を安易に理解しようとしないこと。私も含め、ついつい世の中の出来事や自分を取り囲む社会について単純な類型にあてはめてしまいがちだけど、そんな考えをいましめるような一冊でした。印象的だったのは、様々な事情で右往左往する大人たちを、子どもたちが意外なほどクールな視線で見透かしているところ。Radicalという単語が、「過激」という意味とともに「本質的な」という意味があることを思い出しました。

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2008年7月25日 (金)

カート・ヴォネガット『母なる夜』

Mother_night 池澤夏樹訳・白水社刊。学生時代に読んだ『チャンピオンたちの朝食』以来のヴォネガット。破天荒なSF色はなく、史実に基づいた物語で読みやすかった。悲しい物語なのだが、主人公のどこかあきらめたような、あまり深刻さを感じさせない語りによって、重たいテーマをさらりと読ませてくれる。第二次大戦中、ナチスドイツでプロパガンダ放送のDJをしながら、アメリカのスパイとしても活動した主人公。その半生を記した自叙伝として物語は進む。アイヒマンやゲッペルスなど実在の人物とのささやかな交流があったり、運命の荒波の前に個人の人生が簡単に翻弄されるところなど、どこか『フォレスト・ガンプ』を思い出したりした。

主人公はスパイとしてアメリカとドイツの間に立ち、自分とは何だという悩みを抱くのだが、主人公をとりまく人物たちもまた、おしなべて二面性を持った人間であるというのが面白い。捕虜が看守になったり、勝者だったはずのナチスがあっけなく敗者になったり、正義をふりかざす者がすっかり悪にとりつかれてしまったり。全体を通して「自分はなにものなのか」「真実はどこにあるのか」という問いを投げかけているよう思えた。

また本書には(というかヴォネガットの特長?)心を震わす印象的なセリフやフレーズがいっぱいなのだが、なかでも圧倒的だったのは終盤のこのセリフ。

「勝手に神を味方につけて、資格もないのに憎むのは、喧嘩の理由にはならない。悪とは何だ? 悪とは、たいていの人間の中にある、限りなく何かを憎もうとする気持、神を味方につけて人を憎もうとする気持のことだ。およそ醜いはずのことに魅力を感じる人間の心にあるんだ」

ああ、なんて素晴らしい。1961年の作品なのだが、いまの世にもきちんと響く言葉である。

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