「ピラミッドビューはいかがですか?」
旅の予約をする際、ホテルの部屋をいくつか選択できることがある。たとえば2,000円プラスすれば5階以上のお部屋になりますとか、3,000円プラスすればオーシャンビューに変更できますとか。そんなときわたしたちは、「せっかくだし…」とか「ここでケチるのも何だし…」と、なぜか言い訳めいた口調で、ひとつ上のグレードを選択したりする。自尊心が満たされ、誰に自慢するわけでもないのだが誇らしい気持ちになったりする。ささやかな贅沢。
ある旅行ガイドを読んでいるとき、「15ドルでピラミッドビューに変更できます。」という一文があり、なんだか妙な気持ちになってしまった。何しろ「ピラミッドビュー」だ。「オーシャンビュー」や「ガーデンビュー」と同じたぐいの言葉なのだが、この言葉がすごく力を持っている気がしたのだ。4000年以上も前に建造され、古代エジプト文明の象徴としてナイルのほとりにそびえ続けてきたピラミッド。その歴史的意味をあっけなく取り払い、ただの観光すべきチェックポイントとしてのみ存在させてしまうような力強さ。世界中のあらゆるものを「見ておくべきもの」として再構築してしまう「観光」という行為の暴力性を感じずにはいられなかった。
しかし「ピラミッドビュー」である。はたして旅する人は自分の部屋からピラミッドを見たいと思うのだろうか。窓際のソファに腰掛けてピラミッドに沈む夕日を部屋から眺める。いや、その時はもっと見晴らしの良い場所にいるべきではないか。朝起きてカーテンを開けると、眼前にそびえる三角形のピラミッド。その偉容を眺めて心の中でおはようとつぶやく…。そんな欲求を満たしてくれる部屋。どんな欲求だそれは。
東京でアパートを探していると、不動産屋が「部屋から東京タワーが見えるんですよ」とテンションも高く勧めてくることがある。そんな勧誘に対しては冷ややかな態度で、見栄や浅はかなステイタスのために毎月の家賃が上がるなんて無駄ムダムダ!と一蹴できるのだが、いざ旅行という非日常の状態になると、人の判断力は鈍くなってしまうもの。いつか自分がエジプトを旅行する際は、なんだか思い出が物足りなくなりそうだという焦りを抱き「せっかくだしね…」とか自分に言い訳しながら、「ピラミッドビュー」に15ドル払ってしまいそうな気がする。そんな小さな自分が発見できるのも、旅の持つ「自分探し」の効果かもしれない。
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