「一人ごっつ」として見た。『しんぼる』
新宿ピカデリーにて。松本人志第二回監督作。見に行こうか迷いながら、なぜか高まってしまう期待をひどく裏切られたらどうしようと、弱気になって見に行けなかったのだが、サービスデイということで踏ん切りがついて劇場へ向かった。そしたら「意外と」おもしろかった。「大日本人」の時からそうだったけど、松本人志の映画ということでどうしたって気になってしまう。作品の出来を抜きにして、作品を発表するだけで、これだけ期待を集める監督も日本映画界ではなかなかいないだろう。
物語は、謎の密室からの脱出を試みるパジャマの男と、メキシコのプロレスラーの物語が交差しながら展開する。前回のヒーローもの疑似ドキュメンタリーという形式とうって変わって、今作は脱出劇という物語の大きな流れもあり、映画としてのまとまりが出ていた。主題はあくまでも「笑い」。新しい挑戦に挑んでいることがうれしかった。やはり観客として松本の映画に期待するのは、何も考えずにすべてをゆだねて笑いの世界に連れて行ってくれること。しかし、松本の表現へのこだわりを考えると、そんな気楽な笑いがそこにあるはずもないこともわかっている。後半のストーリーの運びも何かありきたりで終わるものかという矜持のようなものが見えてよかったな。
松本演じるパジャマ男の密室のシークエンスで展開する数々のお笑いは、ベタな下ネタからシュールで不条理なものまであり、さながらモノボケの大喜利を見ているかのようで、松本らしい発想力が感じられた。しかし映画として見てしまうと、やはり全編を通してストーリーを継続していくことに対するこだわりのなさ。みたいなものを感じてしまう。良くできた物語。はっとさせられるオチ。エスカレートするような笑い。といった構造上の笑いをあまり指向してないんだろうな。テレビのコントでもそうだった気がするけど、一つの奇想として、あるシチュエーションを作って、その世界のディテールを掘り下げていくような笑いで、物語の大きな流れのダイナミズムはひとまず置いておくみたいな。トカゲのおっさんとか、テンションが異様に高い料理の先生とか。
映画監督としての松本に期待しているのは、テレビタレントとしての松本が見せる、ある出来事にたいする反応の瞬発力や、そのつどの正解を見抜く才能を、いかに物語の構造のなかに落とし込めるかだと思う。どんな状況に松本を入れ込めばいいのか。それは松本本人よりも高須ちゃんや倉本さんが考えた方がいいのかな。問題を自分で設定して模範解答を示すという作り方では限界があるような気がする。と、ここで思い出すのが「一人ごっつ」なのである。ボケがツッコミを必要としない構造があそこにはあったように、松本の奇想を受け入れる前提の状況をうまく作ることが出来れば、松本映画は大きく進化する、と思ったりした。
六本木にて。まあまあ楽しめたけど、ねー。リメイク元になった『サブウェイ・パニック』のほうは観てない。ジョン・トラボルタが地下鉄ジャックの主犯を演じ、地下鉄司令室のデンゼル・ワシントンが犯人との交渉役にあたる。リドリー・スコットの手腕を信じて見に行ったのだが、すこし残念だった。筋はいたってシンプル。地下鉄をジャックし、1両目だけを切り離してトンネル内で人質を取って立てこもる犯人グループ。無線で司令室と連絡を取りながら身代金を要求。タイムリミットは1時間。果たして1億ドルという大金を手に入れることができるのか、そして犯人たちは地上へと脱出できるのか…。

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